樋田淳也は1987年12月生まれの大阪府松原市出身。
比較的裕福な家庭に生まれ、兄と妹がいる3人兄弟の真ん中でした。
父親は大阪府内の清掃センターに長年勤務し、町内会の副会長を務めたこともありましたが、早くに亡くなっています。
逮捕当時は母親と妹と祖母の4人で暮らしていました。
幼少期の樋田淳也は人懐っこく、明るい性格で小学生のころは児童会の役員を務めるなど、周囲に好かれていました。
しかし、中学生時代から次第に不良仲間とつるむようになります。
バイクを改造し、騒音を出して近隣住民に迷惑をかけるようになります。
そして、樋田淳也が高校生の頃に父親が亡くなってしまいます。
父親の死により、さらに素行が悪くなり犯罪に手を染めるようになります。
樋田淳也は中学卒業後に大阪府立の工業高校に入学していましたが、車の窃盗事件を起こして退学。
少年院に入っていた時期もありました。
高校退学後も犯罪に手を染め続け、2015年に窃盗事件を起こして大阪刑務所に収監。
2018年4月頃に出所しますが、樋田淳也の犯罪はエスカレート。
出所してからわずか一カ月後の5月25日に盗品等保管容疑で逮捕されます。
しかも出所してから盗品等保管容疑で逮捕されるまでに、ひったくりや強盗、強制性交などの事件も起こし40件近くにも及んだそうです。
わずか一カ月の間に40件近くの犯罪に手を染めたというのは、にわかには信じられませんね・・・
樋田淳也は強盗致傷や強制性交などの4つの罪で起訴され、大阪府警富田林署に勾留。
そして2018年8月12日に大阪府警富田林署の接見室アクリル板を壊して逃走します。
脱走してから49日後の2018年9月29日に山口県周南市の道の駅で身柄を抑えられ、加重逃走容疑で再逮捕。
2019年2月25日に大阪府警は、樋田淳也の犯罪・計43件を立件。
2020年7月3日、樋田淳也に懲役17年の判決が下されました。
樋田淳也は判決を不服として控訴。
第二審でも懲役17年の判決となります。
2022年3月29日には最高裁判所が上告を退ける決定をし、樋田淳也の懲役17年の判決が確定しました。
樋田淳也の2022年現在の年齢は34歳で、服役中となっています。
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