こんにちは。占い詐欺・霊感商法返金『占いバスターズ』です。
本日は占い師けんけんTVで配信中の動画より「御船千鶴子の透視能力を見破る!」について解説していきたいと思います。
↓動画はこちらになります。
今回は超能力者や霊能者と呼ばれるインチキ野郎を暴くシリーズでございます。
クロワゼットの動画のように、一人一人、種明かししていきましょう。僕らマジシャンやデバンカーしたら、全員一緒。
霊媒師だとかはまず、この世に一人も存在しないのかもうわかってるんですが、僕がどんだけ動画にしようとも
なるほど。わかりました。でも〇〇さんは本物ですよね?
と繰り返されます。もうこのパターンうんざりです。
いいんですよ、霊媒師や霊能者とか名乗っている奴が沢山いるのは。まず誰でもいいから一人でも証拠をきっちり見せてくれ、って話なんです。
だけども、仕掛け等がわからない人からすると、根本を理解していないので、結局、ガワだけ変えられると毎回引っ掛かってしまうんです。
ポンジスキーム詐欺に引っ掛かる人間と一緒で、騙される人間は毎回イカれるんですよ。
学びがないというよりは、今さっき話しましたように、本質に気づいてないからなんです。
だから、その大元、コアが理解出来るまでは、もう一人一人の種を明かしていくしかないなぁという事で本日は御船千鶴子を解説していきましょう。
リクエストも頂いておりますので、先にそちらを紹介しておきましょう。
と、こちらの身体まで心配してくれる素晴らしいコメントです。
あと一つマカロンを紹介させて頂きます。
というわけで今日は御船千鶴子のトリックを解析していきましょう。
①御船千鶴子と千里眼事件
では、まず御船千鶴子と超能力がどのようなモノと言われていたか、を話していきましょう。これは真実ではなく、こういう風に語られてきたという御船千鶴子ストーリーです。
明治19年、日本で初めて科学的に調査されました超能力者が熊本に生まれたのです。彼女の名前は御船千鶴子「千里眼」とも呼ばれる透視能力を持ちました超能力者です。
千鶴子は17歳頃、兄の清原猛雄に催眠術をかけられ、誘導されたことをきっかけに超能力者として目覚めたと言われています。22歳の頃には本格的に透視を開始。熊本では姉夫婦(清原夫妻)が開業していました治療院で透視能力を使った治療を行うようになっていました。
彼女が本格的に調査されるようになるのは、それから約2年後の明治43年です。
東京帝国大学(現・東京大学)の助教授・福来友吉博士とは、この頃に初めて出会いました。千鶴子と福来博士は、数々の実験を行い、透視を成功させていきます。
しかし多くの学者たちは否定的な立場を崩さなかった。そんな中、明治43年9月に東京で行われた実験で事件は起こりました。これが世にいう千里眼事件です。解説しましょう。
ついに福来友吉博士は千鶴子の能力を証明するため、1910年9月15日に東京帝国大学の元総長であります山川健次郎博士の立ち会いのもと、東京で公開の透視実験をおこなうことにしました。
この実験では20本のハンダで密閉された鉛管が用意されまして、その中に立会人の山川博士が文字を書いた紙が封入されました。
この紙に書かれました文字が透視できれば、千鶴子の能力は本物というわけです。鉛管のうちの1本を渡されました千鶴子は精神集中に入り、やがて「見えました」と言葉を発しました。
そして千鶴子は用意してあった半紙に、筆で「盗丸射」という文字を書きました。
確認のために鉛管を開いて紙を取り出しまた。紙にはなんと千鶴子が言い当てましたように「盗丸射」と書かれていたのです。実験を一目見ようと集まりましたマスコミ各社もどよめき、千鶴子の千里眼は本物だ、と色めき立ちました。
しかし、その場に「インチキだ!」と避難する声が響いたのです。声の持ち主は、なんと立会人の山川博士でした。山川博士は「私は『盗丸射』なんて言葉を書いていない」と証言しました。
山川博士の主張は正しく、実はこの「盗丸射」と書かれた紙は山川博士の書いたものではなく、福来博士が練習用に書いたものだったのです。
当然ながらこのことは実験に立ち会った山川博士の心象を著しく悪くし、新聞各社は千鶴子らが実験前に鉛管の中身をすり替えたのだ、とやらせを疑う報道をしました。
千鶴子と福来博士は潔白を訴え、再度の実験と山川博士の立ち会いを懇願します。9月17日に、再び透視実験がおこなわれることになったのです。
2回目の実験では銅製の筒に文字を書いた紙を入れ、それをさらに木箱に納めて紐で固く括り、木箱の蓋には封がされ、その上から立会人が割り印を押すという厳重な措置が取られました。この木箱の透視をおこなった彼女は「道徳天」という文字を見事に言い当てたとされます。しかし、この1回の的中だけでは山川博士らの不信を晴らすことができず、山川博士は用意していた追加の実験をおこなうように要求してきました。
ところが1回目の実験から緊張の連続状態であったためか、この日の千鶴子は体調が悪く、これ以上の実験に応じることはできませんでした。もともと山川博士も千鶴子の千里眼に対して批判的な印象は持っておらず、先入観なく実験に応じていたといいます。
そこに1度目の実験で不信感を与えられ、2度めの実験では「疲れているから、これ以上はできない」と言われ、さらに千鶴子の実験は公開と言いつつも透視中はその場に居合わせた全員に背を向けて対象物を触るというかたちでおこなわれたことから、不信は募る一方でした。
ほかの物理学者からも「千里眼実験に使った管や箱には開封した痕跡がある」と指摘され、2度目の実験でも千鶴子の千里眼はインチキだとする声は収まらなかったそうです。そのため福来博士らは立会人と向き合った状態でも千鶴子が精神集中できるよう、工夫をしなければないないと考えました。
そして千鶴子の顔を毛布で包み、手元だけをふすまから自分たちに覗かせる方法で実験をおこなえば、彼女の手元を見せてやましいことがない旨を証明しつつ、精神統一も図れるのではないかと思いついたのです。
この方法での実験は11月18日に熊本でおこなわれ、千鶴子は5回中3回の透視に成功しました。福来博士らはこの結果に満足し、翌1911年の4月に再び東京で公開実験をおこない、千里眼が本物だと証明しようと千鶴子と約束します。
しかし1911年1月18日。自らの能力が認められないことに絶望した千鶴子は、染料用の重クロム酸を服毒し、24歳の若さで自ら命を絶ってしまったために再度の公開実験はおこなわれませんでした。千鶴子の能力の真偽をめぐる一連の論争と彼女の自殺は、千里眼事件と呼ばれています。
千鶴子は日本の超能力者の中では比較的知名度がある方でして、有名な『リング』に登場します貞子の母、山村志津子のモデルにもなっております。
原作者の鈴木光司氏によりますと、小説のアイデアを考えている際に図書館で読みました『超心理学者 福来友吉の生涯』(大陸書房)が元ネタだといいます。
この本には千里眼に関わる福来友吉博士、御船千鶴子、高橋貞子が登場し、それぞれは『リング』の
登場人物、伊熊平八郎、山村志津子、山村貞子のモデルになったと思われます。
近年もテレビ等で何度か取り上げられているため、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
このような番組で彼女が取り上げられる際は、超能力は本物らしかったものの、当時の頭の固い学者連中やマスコミによってその能力を否定され、自殺に追い込まれてしまった悲劇のヒロイン、という扱いで紹介されることが多いですね。
ここがテレビの絶対的にダメな所です。
しかしながら実際に当時の資料を詳しく調べてみますと、こうした悲劇のヒロイン像とは違った様子が見えてきます。当時の資料を中心に千鶴子の実像について話していきましょう。
②御船千鶴子はなぜ死んだのか?
御船千鶴子が自殺したのは1911年の1月19日の未明のことで、まだ24歳という若さでした。
死因は重クロム酸カリウムによる中毒死で、亡くなる前に兄に「どこまで研究しても駄目です」という言葉を残したといわれております。
重クロム酸は本人が買い求め、18日の午後3時半頃に服毒したと考えられています。
服毒後は12名の医師が呼ばれ、手当が施された結果、19日の未明には容体は一時安定しました。しかし同日午前3時頃、再び苦しみだしたため、駆けつけた親族が「遺言はないか」と聞いたところ「いえ、何も申し上げることはありません」と千鶴子は答えました。
そして同日午前5時頃、最期は眠るように亡くなったといいます。
兄に残した言葉から自分の超能力に対して批判的な意見が増え、新聞などでも
ペテン師扱いされるようになったことを悲観しての自殺だったのではないかと
思われています。
本人が自殺の理由を語っていないことから、その原因については様々な憶測が飛び交いました。そんな中、当時から最も有力視されていましたのは、親族間の不和が原因とするものです。
これは千鶴子の父と、兄の清原猛雄との間で、千鶴子を巡る争奪戦があったというものです。
もともと千鶴子は兄が営む治療院で透視を行っており、千里眼の噂を聞きつけた人たちの間で大人気となっていました。そのため、かなりの利益を上げていたとされます。
そこに目を付けたのが千鶴子の父で、彼も千鶴子を利用しようと考えました。しかし兄の清原猛雄はそれをなかなか認めません。そこで板挟みにあったのが千鶴子というわけです。彼女は明治43年の東京での公開実験後、福来博士に「一人で東京へ逃げ帰りたい」とまで書いた長文の手紙まで送っています。
どちらにせよ24歳で亡くなるのは早すぎました。
③千里眼のトリック
ではどのように透視していたのか、詳しく解説していきます。
前述しました、明治43年9月14日、千鶴子の実験として最も有名になる東京での公開実験でのやり方です。一般的には、この公開実験で千鶴子は実験物のすり替えを疑われてしまったためにバッシングを受けたと考えられています。しかし本当にそうなのでしょうか。このときの実験を振り返ってみます。
実験は、東京の大橋新太郎邸で行われました。立会人は福来、今村、山川をはじめとした14名です。千鶴子に透視してもらう実験物は、平にした鉛の管の中に紙を収め、両端をハンダ付けしたもので、山川博士が20個用意しました。
↑の写真がそうです。時代的に白黒写真で申し訳ないのですが、左が鉛管。
この中に右のような字が書かれた紙を入れます。
実験では、この鉛管の中から1個が選ばれ、千鶴子に渡されました。彼女は二階に上がりますと実験をするために用意されていました部屋に屏風を立てまして、その中で透視を開始します。立会人は二人で、二階の別室にて待機していました。このときの注意点は、千鶴子は屏風の中に隠れていたため、別室にいた二人には千鶴子の手元はおろか、後ろ姿さえ見ることができなかったという点です。
2008年に放送されましたテレビ東京系番組「新説!?日本ミステリー」の中では、この時の再現映像として屏風の横から立会人が手元を見ていたかのように放送していましたが、完全に創作です。
だからテレビはダメなんですよね。他にもまったく別の実験の記録を、この公開実験の記録だと偽ったり、明らかに故意だとわかるデタラメな点がほとんどでした。
こうした状況で、しばらくしますと千鶴子は屏風の中から姿を現し、透視できた文字は「盗丸射」の3文字だと回答しました。一階に戻ってみんなの前で中身を確かめますと、確かに「盗丸射」と書かれた紙が入っておりました。透視は成功です。
ところが、この3文字を見た山川博士は不思議に思いました。彼が用意していました20個の実験物の中には「盗丸射」と書かれた紙は入っていなかったからです。別紙にあらかじめ書かれていました答えの控えを見ても、千鶴子が答えた文字は含まれていませんでした。
では一体、千鶴子が答えた文字と鉛管はどこから出てきたのか? 現場の大橋邸では、みんな不思議がったものの、山川博士が前日に、福来博士から鉛管の模型を一つ渡されていたため、それがうっかり混ざってしまったのではないか、ということで意見がまとまりました。
ここで注目しておきたいのは、この時点で誰も千鶴子のすり替えを疑っていないという点です。
では、すり替えの話はいつ出てきたのか?
それは実験当日の夜でした。
実は、この日の夜、宿に戻った福来博士が千鶴子と話し合った結果、千鶴子本人がすり替えを認めたのです。
千鶴子によれば、彼女が透視した文字は、前日に福来博士が練習用として渡していた鉛管の中身だったという。彼女は、この練習用の鉛管を実験の当日に「お守り」として持参し、透視を行った際にも懐中に忍ばせていたという。
しかし当日に渡された鉛管は透視できなかったため、代わりに練習用の鉛管を透視して提出したというのだ。つまり、あくまでも中身は透視したものの、実験物は練習用とすり替えてしまったというのが本人の言い分でした。
福来博士も自身が前日に練習用として鉛管を渡していたこと、さらにはその鉛管の中身が「盗丸射」だったことは知っていたため、千鶴子がすり替えたであろうことは認めています。
この実験に関して言うならばガチガチのインチキw
そもそもお守りに持っていたとか、透視が初めから出来るのであれば、すり替える必要も一切ありませんし、誰も観てないところでしか出来ないという、彼女は限定条件が多すぎるので、一切何一つ証明出来ていません。
現在のマジシャンであれば、その人たちの目の前でもっとわからない状態でやる方法も無論あります。
このように何かに覆われて中に入っている紙の文字を言い当てる方法は数パターンしかありません。
20個の鉛管が用意されたと言ってました。
・20個全部、あらかじめ中に書いてある文字を知っており、外からどの鉛管がわかるように印をつけておく。これはガンカードというイカサマと一緒です。
トランプ等で、カードの裏面の傷・汚れ・印をつけておくイカサマで麻雀でいうとガン牌になります。
・あらかじめ中身のわかっている一個の鉛管を忍ばせおき、20個の中からそれを普通に選んだようにする、マジック用語でいう所のフォースと言うやり方です。
ランダムに20個の中から選んだ風に見せて
確実にわかっている1個を取るという方法。
状況では山川博士が選ぶという記事の内容そのまんまですと、これが使えないので、
・すり替えです。
おそらくこの方法を選んだのは、今僕が言った二つが状況的に出来なかったので、鉛管は外側から見てもどれも同じなので、渡された鉛管とあらかじめ持っていた鉛管をすり替えたのですが、全然ダメで、結局、その中は透視できたテイに見せられたとしても、山川博士がその20個分の文字を別の紙にきちんと書いてあったのが最大の誤算です。
まだ他にもやり方があります
・鉛管を渡されてからなんらかの方法で開けて、中を観てからもう一回閉じるという方法。誰からも観られない場所にいたら、これすら可能でしょう。
とにかくこの実験がザル過ぎるのと、
下手な手品よりもあまりにも色々と条件が多いんです。
透視したいのなら、普通に人の前で、目の前の人が書いたモノを言い当てたりすればいいだけの事で、わざわざ鉛管を用意してはんだ付けして、別室でと限定条件過ぎるので、
時代が時代とはいえ、下手過ぎますね。
その他の実験もあったんですが、やはり超へたくそで、箱の中にいれたモノを当てる実験なども、千鶴子と立会人の間にふすまや屏風が置かれて、必ず手元が見えない状況かつ、千鶴子の実験には時間制限などはなく、彼女が答えを出すまで立会人たちは何十分でも待ったとのことです。
実験前に持ち物検査などもなかったことから、髪の毛の中にピンを隠しておいてそれで封を剥がして中身を見ていたのではないか?とも指摘されています。
また初期の実験では福来博士は対面ではなく郵送で透視の対象物を入れた封書を千鶴子のもとに送り、中身を当てたものだけを返送するという方法をとっていました。
この実験で福来博士は19通の封書を千鶴子に送りましたが、義兄が結果を確認して返送してきたのは7通のみだったといいます。
千鶴子側の言い分としては、もう3通、中身を当てたものがあるが過集中状態にあった千鶴子が気を失って火鉢に落としてしまい、燃えてしまったとのことでした。
また残りの9通については疲弊してしまったので透視をしていない、という返答でした。
この結果でも福来博士は満足したといいますが、単に千鶴子が火鉢の火で炙って手紙の封を剥がして中身を見て、その後、綺麗に封を戻せたものだけを兄に渡したのではないかとも指摘されています。
そりゃそうですよね。
今この記事を見ている皆さん、人生で大切な手紙を間違って燃やしてしまった事
ありますか?僕はもちろんありません。
3通も燃やす、まぁ透視という名のインチキには火が必要だったんですね。
そして福来博士の実験があまあまのグダグダ。よくこんなモノを超能力を言いましたよね。
④まとめ
福来友吉博士は自分を、他の学者たちに認めさせたかったので、御船千鶴子を担ぎあげたのでしょうが、デバンカーの僕からしますと、本当にあなたは東大の教授なのか?と言わざるを得ないダサさですね。どの実験のやり方も、それを超能力と言い張る二人ともにお粗末過ぎました。
御船千鶴子は認めてもらえなくて死んだのではなく、結局はそんな稚拙なトリックはまともな人間には誰にも通用しないので、もうそれ以上詰められるのが嫌だったのでしょう。
この程度のレベルの仕掛けや種を一般女性に演じさせて、信じさせようとした福来博士も重症です。すり替え等、他の事でも福来博士が噛んでいますから、完全にグルです。
最後の方の実験はネタは福来博士と共に作っていた事は簡単に予測出来ます。
そういうインチキをしてまでも立派な大博士と呼ばれたかったの?
福来友吉博士の自己顕示欲の強さだけは超能力かもしれませんね。
ということで今回は三船千鶴子について話させて頂きました。
超能力者も霊能者も霊媒師も医師の様な正式な資格がある訳では無い。
以前飛鳥昭雄がサヴァン症候群のことを「超能力」と言っていました。