
こんにちは。占い詐欺・霊感商法返金『占いバスターズ』です。
本日は占い師けんけんTVで配信中の動画より
「【X JAPAN】Toshlさん洗脳騒動の真相は?洗脳した奴を実名解説します!」
について解説していきたいと思います。
↓動画はこちらになります。
今回のジャンルというとオカルト系+芸能系にカテゴライズするでしょう。
リクエストが多くきていた人物はX JAPANのボーカリストのToshIさんです。
このチャンネルでは何度か洗脳の話をしてきました。
一度洗脳されてしまうと中々解けないですからね。
正直、僕も何度か依頼された事あります。「洗脳解いてくれって」ね。
でもガチガチにかかっている場合は、
不可能ですから、まず洗脳されないに越した事はありません。
どんな人間に、どうのような方法でToshIさんは洗脳されていったのでしょうか?
① ToshIさんとはどういった人か?
そもそも、ToshIさんがどういった人物かを知らないと始まりません。X JAPANのファンだったらある程度知ってると思うんですが、僕はそもそも邦楽を聴かないですし、XというバンドとToshiさんYOSHIKIさんとかメンバーの名前と担当楽器と顔くらいしか知らないんですよね。
後は絞り出しても、紅と、たけしの元気が出るテレビで中華料理屋さんの中で演奏してたのくらいしか記憶にないです。では一緒にどんな人物なのか確認していきましょう。
洗脳にハマりやすいポイントが見つかるかもしれません。

Toshlさんは1965年生まれの日本のミュージシャン、ボーカリスト、音楽プロデューサー、コンポーザー、執筆家、画家でございます。
ロックバンド・X JAPANのボーカリストでして、作家やバラエティ番組で活動する場合の別名義は「龍玄とし」とされているみたいです。
余談ですが、この苗字、ちょっとスピっぽさを感じてしまうのは僕だけでしょうか?
愛称は「としさん」「としちゃん」「としくん」など多数です。
本名は出山利三(でやまとしみつ)さんという少し変わった苗字ですね。
2010年2月9日、名前の表記を大文字だけのTOSHIからToshlに変更されました。身長163cmと少し小柄ですね。公務員の父親とピアノ講師の母親との間の三男として、千葉県館山市に生まれました。
YOSHIKIさんとは幼稚園で出会っています。幼馴染だったんですね。初めて知りました。1977年にバンド「DYNAMITE」翌年1978年にバンド「NOISE」をYOSHIKIさんと共に結成されました。「NOISE」ではギターを担当していたそうです。
1982年にバンド「X」を結成し、1989年にXのボーカリストとしてメジャーデビューされました。
1992年にXの活動を一時休止。同年の4月から8月まで、オールナイトニッポン水曜1部の時間帯のパーソナリティを務めました。
10月にはソロデビューシングル「made in HEAVEN」を発売し、11月にアルバム『made In HEAVEN』を発売。ミディアムテンポな楽曲を中心とした内容は「XのTOSHI」というイメージを払拭するものでした。
1997年4月、ヒーリング歌手を目指す意向からX JAPANからの脱退を表明し、同年12月31日の
東京ドームでのライブ「THE LAST LIVE〜最後の夜〜」を以って、X JAPANは解散しました。
もうこの辺りからヒーリング歌手というワードを観ると、
スピに傾倒していってる姿が確認できますね。
1998年7月にNHK BS2の番組『世界悠々』に旅人として出演します。テーマ曲はMASAYAさん作曲の
「君はいないか」「森と風の旅人」でした。
同年、テイチクへ移籍しMASAYAさんをプロデューサー/コンポーザーとして迎え、シングル
「君はいないか」(作詞・作曲はMASAYAさん)を発売し、1999年にはレムリアアイランドレコードに移籍し、アルバム『愛の詩をうたいたい』を発売しました。
そう実はここで登場したMASAYAさんがToshIさんを洗脳したと言われている方です。
占い師や霊能者系ではなく、洗脳元の正体は音楽プロデューサーだったのです。
それを証拠にこの頃の音楽の曲調はロック色は影を潜め、ストリングスをバックとしたクラシカルな
ヒーリング作品であり、それまでのキーを大きく下げていることなどが特徴的でした。
1999年3月より、トーク&ライブの全国ツアー「詩旅」(うたたび)を開催。自身のキーボードやギターなどでの弾き語り形式や、弦楽四重奏をしたがえたクラシックコンサート形式で、MASAYAさんの楽曲を演奏しました。
また、この頃からロック系の衣装やトレードマークであったサングラスを止め、ラフな姿で活動します。完全にロックンロールイズデッド、スピイズアライブになっていますね。『愛の詩をうたいたい』ツアーの会場は、主にレコード店、老人ホーム、商店街やスーパーでした。
色んな場所で歌えることが幸せと話しているが、
トラックの荷台がステージだった時はさすがに驚いたといいます。
その頃、一部週刊誌に「ToshIは洗脳された」と報道されました。Toshlさん側は自分の利権を巡り、Toshlさんの実兄が仕掛けた捏造であると主張しましたたが、兄側はこれを否定しました。この頃、ヤフーオークションにX JAPAN時代のバンドの衣装などを多く出品しているようですから、お金に困っていたのでしょう。
スピ側に搾取されていたのかもしれませんね。
2001年「詩旅〜うたたび」を開始。コンサートの合間には、ボランティアミニコンサートとして学校、地域の老人、障碍者、児童などの福祉施設や、ホスピス、少年院、刑務所等をまわりました。
「Toshi Healing」としても、国内外(韓国や中国・上海など)のホールやレストラン、地域の各種イベント出演、ディナーショーなどでコンサートを行いました。
1日に数本、365日ほぼ休みなく、10,000回以上にわたり、様々な場所で公演を行ってます。全国をまわる中、過去の自分についても深く語り「心の癒し」の大切さを音楽とMCで伝えました。
2007年1月、8年間続けて行ってきた「詩旅」を終了させました。
2007年2月10日、自身のオフィシャルサイトにて、X JAPAN再結成への話し合いを進めていることを明らかにしました。
YOSHIKIさんが雑誌のインタビューで「現在のToshlがロックをやってくれるのか」とToshlさんのメジャー復帰に対して懸念を表明していたが、Toshlさんは「ロックも癒しの一つとして受け入れる」とコメントしました。
2010年1月18日、都内で記者会見を開き、レムリアアイランドレコードの後身団体である株式会社ホームオブハート、株式会社ヒーリングワールドから離れた事を発表しました。
2014年8月22日「中居正広の金曜日のスマたちへ」に出演し、バンド解散の経緯や、約12年にも及んだ苦悩と体験をVTRとトークを交え赤裸々に語りました。
きちんとMASAYAさんと決別出来て良かったですね。
洗脳する側と切れない場合、一生搾取される事も多いですからね。
ではMASAYAさんとは一体何者なのでしょうか?そこを解説していきましょう。
②MASAYAさんとは一体何者か?
前項目ではToshIさんを洗脳していたのはMASAYAさんという音楽プロデューサーだという事がわかりました。
そもそもなぜ、音楽プロデューサーがそんな事をするのでしょうか?
ちょっと疑問が湧きますよね。
でもMASAYAさんを知っていくと、それっぽい人だなというのがよくわかります。

MASAYAさんは1957年生まれの東京都港区元麻布出身のプロデューサーで実業家です。
本名は倉渕透といいます。
自己啓発セミナー主催者で2023年現在はMARTH名義で活動中でございます。経歴は中々のものですから少し紹介しておきますね。
19歳の時に仲間と学生ツアー事業を始め「ナッツベリー」「オレンジペコ」などの大手を合併します。
その後、日航ジャンボを3台借りて芸能人と学生を一緒にする旅行を計画するも人数が集まらず、ジャンボ1台のみの旅行となりました。しかしその企画力を日本航空に評価され、
日本航空資本による会社「GYRO」を設立し、代表取締役となりました。
次々と事業を立ち上げましたが、ディスコと旅行代理店の複合店舗を企画したところ、不謹慎と言われたのでGYROを離れました。
1984年2月、エヌ・エス・オージャパンを設立。
1981年8月公開の映画『無力の王』に「倉渕雅也」名義で出演し、3番目にクレジットされました。
NSOジャパンでは六本木にディスコ「クレオパラッツィ」を営業し、特に外国人に人気のディスコとなりました。
さらにカフェバー、レストランなど合計8店舗を経営しましたので若い時からかなりのやり手だという事がわかりますね。
そこから様々なビジネスをしていますが、MASAYAさんは「老子の本を読んで、ようやく目が覚めた」と本人は自由に生きようと決め、1990年、独立して癒やしをテーマにした事業を立ち上げました。
セラピーを受けた体験から、ヒーリングミュージックへの道を歩み始めました。
この頃からスピに目覚めたのか、それともスピ系は儲かるとふんだのかどちらか、
もしくは両方かもしれません。
1993年、実質的なオーナーとして鹿児島県屋久島にレムリアアイランドレコードを設立します。
後に屋久島に、エコロジカルヒーリングリゾートを創設しました。
1998年、前年にX JAPANを脱退したToshlさんへシングル『君はいないか』を提供し、テイチクエンタテインメントから発売されました。
1998年『週刊現代』にてToshlさんがレムリアアイランドレコードの広告塔であると報じられ、いわゆる「洗脳騒動」が起きました。
9月18日、民報テレビ各局のワイドショーにMASAYAさんが出演して洗脳報道を否定するとともに、
主催するセミナーが合法的であると語りました。
2014年7月、Toshlさんの自叙伝「洗脳~地獄の12年からの生還~」にてMASAYAさんによる
凄惨な洗脳事件の詳細が明らかになりました。
ではどのような洗脳だったのでしょうか?
③MASAYAさんの洗脳方法とは?

ToshIさんが出版しました自叙伝「洗脳~地獄の12年からの生還~」にはどんな事が書いてあったのでしょうか?部分部分を紹介していきましょう。
YOSHIKIさんとバンドを結成し、若くして成功を収めたX JAPANのToshIさんでしたが、母親や兄などとの金銭トラブルや世界デビューに向けたバンド内外からのプレッシャーなどで、それは自らの望んだ
成功とはかけ離れたものでした。ToshIさんは「何もかも信じられない!」 などと思っていました。

その時、心の隙間にヌルッと近寄ってきたのが元共演者の
守谷香さんでした。そして彼女としばしの交際を経て
スピード結婚します。
そして守谷さんからMASAYAさんなるアーティストの存在を紹介されまして、MASAYAさんのヒーリング音楽などに振れ、興味を持ったところから、1997年にMASAYAさん主催のカルト団体(のちのホーム・オブ・ハート)のセミナーに
参加するようになりました。
セミナーはあとから考えればToshIさん以外は全部仕込みだったそうです。
ここが重要です、昔から降霊術とかセミナーとかスピ・オカルト系は仕込みや姑息な手品を用いたり
するのは実は常套手段なんですよ。
だからデバンカーというのはマジシャンをかじっていないとなれないんですよね。
すみません、続けます。
「世界を救う」などという感動を伴う内容であり、最愛の妻も熱心であり、
徐々に「MASAYAさんこそが正義であり、すべてである」と信じ込まされていきました。
次第にセミナーは窓の無い部屋での暴力や罵声を伴うものに変貌します。
その後は、MASAYAさんだけでなく、妻の守谷香さんからも暴力を受け、一人の時間も仕事の合間も携帯などで四六時中、罵声を浴びせ続けられるようなマインドコントロールを受けました。
その後、MASAYAさんや妻の守谷さんから
「ビジュアル系などという若者をダメにする音楽を広めたX JAPANは宇宙的な悪である」
などというよくわからん言い草と、強い勧めがあり、X JAPANを脱退、解散しました。
YOSHIKIさんもいい迷惑ですが、案外バンド等のグループ、宗教で解散とか仲違いってありますよね。
ザ・ブルーハーツとかもそうでしたね。
この辺りから〝TOSHIさんの洗脳騒動”がマスコミにも取り沙汰されはじめホーム・オブ・ハートからは 「お前のせいであらぬ疑いがかけられみんな食い扶持がなくなった」
「お前のせいで全員食うや食わずのひもじい生活をしている。金を持ってこい」
と、家族経営の個人事務所も乗っ取られ、12年間休日なしで地方のレコード店や介護施設へ赴き、自らの歌とMASAYAさんのCDなどの即売会の開催を強要されます。
その即売会の売り上げ、消費者金融からの借金、その他もろもろの収入、
12年間で15億円を全部持っていかれる始末でした。
しかし本人は毎日コンビニおでんとおにぎり1個、飲み物の合計600円程度の食生活、地方では最も安いホテルでの寝泊まり、移動費のみを手渡される状況でした。
なお妻の守谷香さんは結婚後2年程度で「MASAYAさんからの指令」として別居していました。
セミナールーム以外は男子禁制のホーム・オブ・ハート施設内ではMASAYAさんは複数の女性と一夫多妻にようにハーレム状態で暮らしており、守谷香さんはそちらで生活し出しました。
そこではひもじい生活どころかToshIさんからかすめ取ったお金で
やりたい放題で豪遊しておりました。
そんなことを知る由もないMASAYAさんを信じ切っていたToshIさんは、10年近く連日連夜の過酷な地方回りと売上金の上納を続けていましたが、次第に売上が減少します。実入りの少なくなったMASAYAさんから、X JAPANを再結成するよう指示を受けたあたりから
「ビジュアル系などという若者をダメにする音楽を広めたX JAPANは宇宙的な悪じゃなかったのか?」「結局、金目的なんじゃないのか?」
などという疑問を感じ始め、そこからまた何年間、数々の矛盾を感じる中でそれは怒りへと変わり遂に脱走を決意しました。気づくのがガチで遅いですよね。
しかし、脱走に失敗し拉致監禁されます。またしても施設にて筆舌に尽くしがたい暴力、罵声を浴びせられるなどされましたが、今回はそれが逆にどんどん洗脳を解く材料となりました。
その後、営業周りのリハーサル中に長年のストレスや暴力により体が悲鳴をあげ、そのまま病院へ搬送されました。
そして、このイベントに呼んでくれた会社の社長との出会いが洗脳から抜け出すキッカケとなりました。
というわけで洗脳の手法はやはり暴力や暴言など基本的なやり方でした。
その後、MASAYAさんやこの団体はどうなっているのでしょうか?
④ホームオブハートのその後
さてホームオブハートですが、現在が気になりますよね。
まず、ToshIさんですが、ホームオブハートに12年間で10億円以上を貢いでいましたので、
結局、ご本人は自己破産をすることを明らかにしました。
ホームオブハートの事件は、ToshIさんの洗脳騒動だけではありません。
なんと子どもの虐待問題もありました。
ホームオブハートは自己啓発セミナーを主催していましたが、ホームオブハートのコアなメンバーは
栃木県北部の那須町で集団生活を送っていました。
その中で、子供たちを段ボールに入れて放置していたなど、
児童虐待を行っていたんです。
その事実を知った児童相談所が子供たちを保護し、全国的なニュースになりました。
会員に返済できないほどの借金をさせて、それを全部ホームオブハートに上納させていました。
その上納されたお金は何に使われていたのでしょうか?
実はMASAYAさんと守谷香さんの豪遊に使われていたようです。
守谷香さんはToshIさんの妻でしたが、実はMASAYAさんの愛人であり、妻同然の立ち位置でした。
ToshIさんとは仮面夫婦だったとのことです。豪邸に住み、高級外車を乗り回し、高級ブランドを身につけて高級レストランで食事をしていたそうです。
またホームオブハートに関係している芸能人・有名人は、
実はToshIさん以外にもいます。
一人は石田純一さんです。

石田純一さんは、ホームオブハートの広告塔にされかけました。
ホームオブハートは、「ヒーリング」という会社に名前を変えます。
そして、ヒーリングのホームページに石田純一さんの別荘が掲載されていて、ヒーリング社の高級浴槽の宣伝に使われていました。
事実確認後、すぐにヒーリング社のホームページから石田純一さんに関する記載は削除されましたが、石田純一さんを広告塔に使おうとしていたことは間違いないようです。
石田純一さんは、ToshIさんと親交があったからバスタブを買いましたが、ホームオブハートとは一切関係がないとしています。完全な被害者です。
ホームオブハートは、今まで説明してきたように問題がある会社でしたので、たびたび裁判を起こされています。
一番大きな訴訟は、ToshIさんがホームオブハートの脱会宣言をした時です。ホームオブハートの正体が明らかになったことで、ホームオブハートの被害者たちが一気に声を上げ始めました。
またホームオブハートは、2010年にToshIさんが脱会宣言をしてホームオブハートの内部事情を詳しく話したことで、大打撃を受けることになり、事実上の解散状態になりましたが、ホームオブハートはただでは死にません。
ホームオブハートは、複数の関連会社に分散して、
現在もあくどいビジネスを続けております。
・ヒーリングワールド ・ヒーリング ・コンフォート ・ONE WORLD ・フィールド |
という何社かに分裂していますが、この中の1つ「コンフォート」の代表取締役が、ToshIさんの元妻である守谷香さんです。
他の会社も、ホームオブハートの会員や那須町で一緒に共同生活を送っていた人たちが会社を経営していると言われています。
結局はまだ逮捕もされていないようで、MASAYAさんも守谷さんものうのうと生きているみたいです。
ToshIさんは大変でしたが、やはりスピはやってる側のみが儲かって、それを信じお金を出す側は最終100%不幸になります。正直、ToshIさんもすごい時間と金額を無駄にしましたが、まだ最悪、洗脳が解けて良かったです。
一生解けない人もいますからね。
小さな団体や個人でやっている人間を含めると、日本にまだまだ同じようなのが無数にあると思います。
このチャンネルでは何度も繰り返し言いますが、スピだの霊だのヒーリングだの言っても何もあなたの人生にプラスはありませんから、現実をちゃんと生きてくださいね。
僕から言えるのはただそれだけ。いたって普通の事です。
という事で本日はToshIさんの洗脳について語らせて頂きました。
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